今日はフレンチブルドックちゃんのお別れをしました。
毛艶のすばらしい立派な子でした。
お話をお聞きすると、3歳くらいのお嬢ちゃんと暮らしているそうですが、彼女の持ってるおにぎりがうらやましくて、一生懸命食べようとしたら、喉に詰めてしまったそうで、詰まった物をとることができなかったそうです。
ご高齢の人がお餅を喉に詰まらせて…と言うようなニュースをみることがありましたが、そういう事故のようです。
長らく病気で看病を続けた子が亡くなるのもとても辛いですが、このような「事故」は、何の前触れもなく突然起こります。覚悟や準備なく突然いなくなってしまうのは、想像を超えた辛さを感じるかもしれません。
ですから、飼い主様のペットロスの症状も、とにかく自分を責め続けるという症状になりがちです。
あの時、目を離さなかったら…、普段から気をつけていれば…、私がこの子を殺してしまったようなものだ…。と、なりがちです。
事故はほんの少しの不注意から起こることがほとんどです。でも、いつもいつも神経を尖らしていることはできません。事故は些細な隙に付け込んでやってくるのです。どんなに鉄壁の守りがあっても「隙」ってあるものです。
悔やんでも悔やみきれない気持ちを晴らすことは至難の業です。いつまでもいつまでも後悔は押し寄せてくるかもしれません。
この子はご家族様を苦しめるために事故にあったのではないのです。
ご家族様がいつも守ってくれていたことは一番よく知っているのです。
じゃあ、なぜこんな理不尽なことがおこるのでしょう?
私はこの答えを追求することより、ここからどのように生きていくかが大事なんだと思います。
物理的に原因を究明して、次は失敗しないように、過ちは繰り返さないようにすると言うのも、正しい生き方です。
でも、私はもっと、自身の心の中と向き合って欲しいと思います。
命の儚さと、生きていること、生かされていることの素晴らしさと尊さ、私の中にある愛情とか思いやり、目に見えない絆の太さや大切さ。
普段、気づかないふりをして通り過ぎてしまいそうな、繊細でやわらかい自分の中にあるよい心を愛でて欲しいと思います。
毎日何気なしにそそいでいた愛情のなんと深かったこと。その子がそばにいることの幸せ。その気持ちをちゃんと心の中に灯しておくことができる強さを身につけられたこと。でも、やっぱり寂しくて涙が出る。私は弱いとこだっていっぱいあるから、たくさんの人や動物に支えられていたこと。これからもそうであること。
命と向き合うことは自分と向き合うこと。そして、人に動物にやさしくできる私でいられる。
例えば、こんな風に向き合ってもらえたら…?
愛と感謝を込めて…
安希